MMJの歴史

※ 一部、伝聞に基いた記述があります。そのため事実とは異なっていることもあり得ます。内容についてお気づきの点がありましたらご指摘いただけるとありがたく思います。

※ 文中、敬称は省略しています。ご了承ください。

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1. くらはしけんじプロデュース以前時代(2010年 2月~2010年 7月)

MMJの誕生

MMJが結成されたそもそもの発端は、リーダーのえーたん(西本衣里)にあった。
自身が熱烈なAKB48ファンであり、またかつて広島アクターズアカデミーで学び、歌手を目指していたこともあったえーたんは、中国地方で最大のお祭であり、5月3日からの3日間にのべ150万人以上が訪れるひろしまフラワーフェスティバルの一般公募に、AKB48のフリコピで出場しよう、と思い立った。それは2010年の2月のことだった。
えーたんは高校時代の友人、バンド活動を通しての知り合い、広島アクターズアカデミーでの仲間など、自分の知人の中からこの企画に参加してくれそうな人を選び、企画の内容をメールで送って参加者を募った。さらにそのメールを受け取った者から、その友人・知人にも誘いは広がっていき、最終的にえーたんを含めて16人の参加者が集まった。この16人は現在のMMJメンバーとまったく同じ16人である。
グループ名は、AKB48のフリコピをするグループであるから、それにちなんだ名前で、かつ広島らしさを考えたうえで、えーたんが「広島、といえばもみじ饅頭?」ということで「MMJ48」と命名した。

その後、4月に初めて16人全員の顔合わせが実現し、そこからフラワーフェスティバルに向けての練習を開始。中国新聞にも紹介された(記事)。
そして2010年5月5日、フラワーフェスティバルのすみれステージでMMJ48の16人は「萌えあがれ広島♥制服祭り!」と銘打ち、練習の成果を披露した。

運命が動き出す

このステージはメンバー自身にも意外なほど好評だったという。
MMJ48結成の目的は、このフラワーフェスティバルへの出場にあったため、すでにその目的は達成されていた。しかし、このステージを見ていたイベント企画の関係者に声をかけられ、クラブイベントなどへの出演を打診されるようになる。
フラワーフェスティバルだけのために結成されたMMJ48は、これをきっかけに、イベントやお祭りに呼ばれてステージを披露する常設のパフォーマンスサークルのような存在に変化した。

2. AKBコピー時代(2010年 7月~2010年12月)

プロデューサーとの出会い

2010年7月16日、翌日の牛田ほおずき祭りへの出演を控え、MMJのメンバーのうち、つぐちゃん(石原つぐみ)なっち(泉田夏美)ジャスミン(原田愛李)の3人がラジオ番組にゲスト出演した。
番組は「くらはしけんじのブチ抜き!小僧ROCK」。広島ローカルで活動するミュージシャンのくらはしけんじがパーソナリティを務める広島の音楽情報をメインとした番組である。実はくらはしけんじはRCCテレビ「アォーン!」のメンバーとして有名なローカルタレント泉田文佳と知り合いであり、泉田を通してその妹の夏美がメンバーとして参加しているMMJ48について耳にし、興味を持ったのである。

この番組の中でくらはしけんじはMMJ48の活動を非常に面白いと感じ、また、どうせやるならもっと本格的に徹底的にやったほうが、という思いから、そのために必要なノウハウや環境を自らが提供し、協力する、という提案をした。
後にこの提案をMMJ48メンバーが受け入れ、正式にくらはしけんじがプロデューサーとしてその運営を引き受けることになった。

くらはし流プロモーションのスタート

くらはしけんじはプロデューサーとなってから次々と新しい活動方針を打ち出していく。
まずグループ名の「MMJ48」から「48」をはずし、「MMJ」に改めた。これは、秋元康率いる48グループとの関係で無用なトラブルを避けるためであった。
また、メンバー全員のツイッターアカウントを作成し、ツイッターによるプロモーション活動を開始。さらにUStreamで生配信番組「MMJchannel」をスタートさせ、ネットを活用したプロモーション展開を打ち出した。
さらにMMJのCDリリースを決定。16人のツイッターアカウントのフォロワー数合計を1万人に、という目標を設定し、期限(10月末)までに達成できなければCDデビューは取り消し、という企画を「ブチ抜き」内で開始。MMJメンバーをレギュラーゲストとして番組に出演させた。
結果としてフォロワー数は早期に目標に到達し、10月半ばを待たずしてCDリリースが決定した。

これらのプロモーションが奏功し、徐々に固定的なファンが増え、イベントの観客も盛り上がりも、回を重ねるごとに次第に大きくなっていった。

3. 恋愛アジェンダ(市内活動)時代(2010年12月~2011年 5月)

リリースイベント

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当初は11月を予定していたCDリリースだが、少しずれこんで12月11日となった。
この日、アリスガーデンでMMJの1stマキシシングル「恋愛アジェンダ」のリリースイベントが行われた。

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これまでMMJのステージはすべてAKB48のフリコピのみであったが、この日ついに初めて、MMJのオリジナル曲を披露した。驚くべきことに、3曲の収録曲のすべて、メンバーが自分たちで振り付けを考えた。これはダンスサークルやタレントスクールの経験者、しかもその中でも特に優秀な経験者がメンバーにいるMMJだからこそできたことであった。昨今、全国各地に数多くのローカルアイドルグループが存在しているが、振り付けをすべて自分たちでしているグループはMMJ以外にはほとんど存在しないはずである。

リリースイベントには予想外なほど、アリスガーデンを埋め尽くすほどの多くの観客が集まり、物販でのCDやグッズの販売も、長蛇の列ができるほどの盛況ぶりで、イベントは大成功を収めた。
また、このCDリリース前後に新聞や地元テレビ局の取材が入り、それが報道されたことにより、地元での知名度は大幅に飛躍することになった。

イベント巡りの日々

CDリリースをきっかけとしてMMJへのイベント出演のオファーはどんどん増えたと思われる。
毎回イベントで顔を見かける常連ファンも増え、MMJchannelの視聴者数もコメント数も増えた。
恋愛アジェンダのリリース後は、前半にAKBコピー、後半にオリジナル曲、というスタイルが定着した。
3月からはFMはつかいちで「MMJのHMR」という冠番組がスタートし、4月からRCCラジオの「HIROSHIMA MUSIC VILLAGE」にりな(渕上里奈)がアシスタントとして出演することになった。11月から始まったMMJchannelGTも含めて活動が非常に忙しくなった時期であった。

そしてついに、初ステージから1年、MMJはフラワーフェスティバルのフラワーゲストに選出される。

4. 新制服(市外展開)時代(2011年 5月~2011年12月)

2年目のスタート

2010年のフラワーフェスティバルではMMJ48(当時)は一般公募グループとしてステージに上がった。それが2011年にMMJはフラワーゲストとして主催者から招待される側となった。

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この年はスペシャルゲストとしてPerfumeが呼ばれ、そのため全国各地から多くの人が集まった。そんな中MMJは3日間で6回のステージというハードスケジュールをこなした。
いずれのステージも多くの観客を集め、大いに盛り上がったが、特に5日のカラーステージでは、道路にまで溢れ出すほどの人が集まり、またファンによる1周年コールもあって、感極まったメンバーが涙する場面もあった。

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またこのときからステージ衣装が、メンバーのオリジナルデザインによる新制服に変わった。それまでの衣装は赤いチェックのスカートとリボンタイの通称「赤制服」と、青いチェックのスカートとネクタイの通称「青制服」の2通りがあった。

3日間を通して多くの人が初めてMMJのステージを見ることとなり、知名度と人気はまた一気に加速することとなった。

塗りつぶされていく広島県地図

フラワーフェスティバルの直前、4月29日にMMJは北広島町大朝のお祭、「わさまち」に招待された。これがMMJにとっては広島市以外での初めてのステージとなった。
それは、これまでのMMJの活動が徐々に県内に伝わり、話題となってきたことのひとつの表れであった。

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それ以後、県内各地のお祭から出演オファーが相次ぎ、MMJはたびたび市外に遠征するようになる。
行った先では概ね、温かく歓迎され、また新たなファンを獲得していった。
くらはし邸には広島県の白地図が置かれ、MMJがイベントに出演した市町村を塗りつぶす、という習慣がスタート。短い期間に大半の市町村が塗りつぶされた。
ついに7月には岡山県倉敷市の「水島港まつり」に出演。広島県外にまで飛び出した。

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ネットを利用したプロモーションの効果もあり、このころには県外のファンも多くなっていた。また、さまざまなメディアにおいてローカルアイドル(ご当地アイドル)ブームを取り上げる際に、広島を代表するローカルアイドルグループとしてMMJが紹介されることが増えてきた。
それはSET STOCK'11の「ご当地アイドルライブ」に、福岡のLinQや愛媛のひめキュンフルーツ缶、香川のきみともキャンディと共に、広島代表として招待されたことからも伺える。

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夏場には、それまでお祭・イベント中心だった活動に、ホテルでのディナーショーという新しい形も加わり、より幅広い活動を展開するようになった。

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そして「恋愛アジェンダ」リリースから1年、待望の新譜のリリースが発表される。

5. Girl-Girl(全国流通)時代(2011年12月~)

そして全国へ、海外へ

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後にくらはしの語ったところによれば、本来MMJの2枚目のCDは春のリリースを予定していたという。それが諸々の事情により遅れ続けた結果、12月になったのだという。このミニアルバム「Girl-Girl」に収録された「青空エンドレス」という、まさに夏の海をイメージした曲は、当初春にリリース予定だったため、「夏を先取り」的な意図があったらしい。

それはともかく、「Girl-Girl」のリリースイベントは「恋愛アジェンダ」からちょうど1年後の12月11日に行われた。リリース日じたいは12月21日であったため、先行イベントという位置付けとなった。

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このときから、MMJを巡るさまざまな要素が大きく変化することになる。
まず、1年前にリリースした「恋愛アジェンダ」も含めて、MMJのCDはTSUTAYA限定で全国流通することになった。これまでイベント会場の物販か、または通販でしか購入できなかったものが、全国のTSUTAYA店頭やTSUTAYA Onlineで購入できるようになった。また、TSUTAYAでのレンタルも開始された。
そして、サブリーダーりな(渕上里奈)のソロデビューも発表され、同じくマキシシングル「D.I.C.E.」はTSUTAYA限定で全国流通することになった。
さらに、本作からメンバーを血液型別に4つのユニットに分け、それぞれの曲が収録された。これにより、メンバー中唯一のAB型であるジャスミン(原田愛李)は、事実上のソロとなった。

このミニアルバムのリリース以後、オリジナルの楽曲数が大幅に増えたことにより、イベントの持ち時間すべてをオリジナル曲だけで構成することが可能になり、1年半にわたって続けてきたAKB48コピーは完全にセットリストから消えた。

また、TSUTAYAでの流通を契機として、TSUTAYAでのインストアライブが活動に加わり、自ら店に足を運んで音源を購入するという、積極的な音楽購買層に訴求するチャンスを得たことは、今後のMMJの活動にとって大きな意味があったといえるだろう。

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さらにはYouTube等を通じて海外の日本アイドルファンにもMMJは知られるようになった。すでに海外からMMJのCDを購入したいという希望がいくつか寄せられている。

萌えあがれ!広島

MMJの活動はこれまで地域のお祭やイベントを中心としたものであった。

MMJのキャッチフレーズ「萌えあがれ!広島」は、地域活性化、地域貢献という大きな目標を表しているが、2012年ごろからそれにふさわしい新しい活動の場が増えてきた。

「ひろしま菓子博2013」のテーマソングのダンスをPRイベントで披露する活動に参加したり、青年海外協力隊の広島地域イメージキャラクターと「なんとかしなきゃ!プロジェクト」のサポートメンバーとして選ばれるなど、より公共性の高い役割を担うようになったといえる。

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2012年のフラワーフェスティバルでは、それまで目標としていたメインステージであるカーネーションステージに立った。これは菓子博PRの枠の中での出演であり、その意味ではMMJが地域貢献を目指して活動してきたひとつの成果であった、とみることができる。

楽曲ではRCC開局60周年記念番組「元就。ひろしまテスト」の主題歌として「ぼくらの町のイイトコロ」が採用され、りな(渕上里奈)の「appreciate~感謝の言葉~」は結婚式場ザ・サウスハーバーリゾートのテレビCM曲として毎日のようにテレビで流れ、本通り交差点の大画面モニター「NAVIA」でも頻繁に流れるようになった。

メジャーメディアに載る機会が増えたことでMMJの知名度はよりいっそう高まったといえる。

6. 自主運営時代(2014年5月~)

転換点

2013年、NHKの連続テレビ小説「あまちゃん」が全国的に好評を博し、劇中で取り上げられたローカルアイドルの活動に注目が集まり、2010年ごろから続くローカルアイドルブームの一般認知度が急上昇した。

広島でもそれ以前から多くのローカルアイドルグループが活動を開始しており、それぞれに独自の路線でファンを獲得しつつあった。

そんな中でも長年の活動実績が認められ、MMJはNHKキャンペーンの広島代表に選ばれた。

いっぽうりな(渕上里奈)のソロ活動も地道に実を結びつつあり、2014年4月からは、それまでアシスタントとして出演していたRCCラジオの番組にメインMCとして抜擢され、自らの冠番組となった。そして、ついに5月には念願のメジャーデビューを果たす。

5月末にはメジャーデビューを記念してワンマンライブを開催。そのオープニングアクトはMMJが務めた。

しかしこのワンマンライブを最後に、これまでプロデューサーを務めてきたくらはしけんじが降板することとなった。その経緯については詳しいことが語られておらず、関係者にしかわからないところだが、くらはし本人からはメンバーと活動方針の不一致が生じたためと説明された。

これにより、2014年6月からのMMJはセルフプロデュースという形となった。マネジメントから楽曲の制作にいたるまで、ほぼすべてをメンバー自身が行うということであり、その負担の大きさはファンの間にも動揺と不安を呼んだ。 しかしその不安を払拭するように、メンバーの超人的な熱意と行動力により、7月末に行われたランチショーまでに2曲の新曲を、音源のみならずフリつけに至るまできっちりと仕上げてみせ、自信に裏付けられた覚悟の深さを証明してみせた。

成長したひな鳥が巣を飛び立って大空に羽ばたくように、MMJは新しい未知の世界に向けて大きな一歩を踏み出した。

ユニークな存在へ

2014年10月にはセルフプロデュース移行後初となるミニアルバム「スタート!」をリリース。そのタイトルの通り、新しいスタートを切る。

そのリリースイベントにおいて、翌2015年の2月にMMJ史上初となるワンマンライブを開催することが発表された。

このワンマンライブもだが、他のライブイベントにおいても、MMJがセルフプロデュース体制となったことで、りな(渕上里奈)のソロ活動との共演や、相互告知も可能になった。